「ラーニングダイバーシティの夜明け」という記事をそだちの科学さんにて連載開始いたしました

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こんにちは。今回はお知らせというか、完全に宣伝記事です笑

先日発売になりました「そだちの科学(日本評論社)」さんに、「ラーニングダイバーシティの夜明け」という私の記事が掲載されました。しかも連載記事なので、今後しばらくは毎回掲載される予定です。

普段よく読む科学雑誌に自分が書いた記事が載っているのはとても不思議な気持ちですが、書いている内容自体は本当にたくさんの方に知って頂き、考えて頂きたいテーマですので、情報拡散して頂けますとありがたいです。

有料雑誌のため記事内容をそのままご紹介するわけにはいかないのですが、論旨をご紹介する意味で全9600文字のなかのごく一部だけここに転載させて頂きたいと思います。

~ ~~~以下引用(全体の一部です)~~~~
このテーマの重要性をご理解いただくために、ラーニングダイバーシティ(学びの多様性尊重)という概念をもう少し私なりに具体化してご説明したい。

それは、「いつ」「どこで」「誰と」「何を」「どのように」学ぶのか、またそもそも学ぶということの意思決定を誰が行うのかという主体の問題、これらすべての要素を含む概念であり、これらの要素に関する一人一人の「学びの多様性」が尊重される社会や教育システムの構築、修正の話である。今のところこれらの要素はあらかじめ定められていることが多く、「自分に合った学び方を選ぶ」、もしくは「自分に合った学び方を学ぶ」という余地は小さい。そもそも多様な学び方を尊重するという発想自体が一般的とは言えないであろう。
もっと言えば、こういった「教育」は決められた方法で行うことが正しい方法であり、それらに適応できない人たちは「努力不足」で「甘えている」か、そうでなければ「障害者」であり、その結果起きるかもしれない不利益な結果は、すべて「自己責任」である、という考え方が相当根強いのではないかと個人的には感じている。しかしながら、同年齢集団の全員が同一の基準や方法によって画一的な教育を受けるという方法は、もう時代に合わないものになってきていて、そこかしこに深刻な課題を抱えてしまっているように私には思えている。

~中略~

それは公営、民営のすべてを含む既存の教育システムから、零れ落ちていくように不適応状態に陥ってしまっているたくさんの子どもたちを見ていると本当に強くそう感じる。個人の実感ではあるが、ほんとうに「たくさん」の子どもたちである。多くの子どもたちが学ぶということへの意欲が根こそぎ奪われ、自尊心が過度に低下し、強い不適応状況や精神的苦痛を抱えてしまっている。そういう姿が珍しいものではなくなってしまって、かつてはごく一部の限られた子ども達だけの話だと考えられていたことが、ありふれたどこにでもある問題へと変質してきてしまっているように私には思えてならない。

私は今、この「ラーニングダイバーシティ」という言葉を、教育の新しいバズワードにしていければと願っております。いや、していかなくてはいけないという想いを持っております。今後もこのテーマについては、継続的に発信してまいりますのでよろしくお願いいたします。

コメント

  1. 池田美智子 より:

    私は今は11ヵ月の孫を見守る日々ですが、教育問題の硬直化に我が子の時から直面したので、考え方に大賛成です。長男が42才になりますが産まれてから、発達が早いと感じました。予想通り学校生活になるとテストが簡単すぎて授業中は自分の世界に飛んでいたはずです。せめて小中は公立で社会の縮図を学ばせたいとおもいましたが、中学校が荒れる中で苦しみました。進学塾にいきはじめて学校は年間30日をめどに、休みを入れながら乗り切りました。
    今は研究職の仕事ですが、進学塾ではなく公立で理解力に添った教育ができるシステムになってほしいと、孫を見ながら祈る気持ちでいます。

    • naotonaoto より:

      池田様
      コメントありがとうございます。
      お孫さんが学校に通いだすころくらいまでには、日本の教育も大きく変わっているといいなあと思っております。
      こういったお声が励みになります。よろしくお願いいたします。

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