「認知」という言葉① 重要な2つの定義

心理士パパの子育て、教育、対人支援もろもろ雑記帳

こんにちは。

今回は、対人支援領域や教育分野で近年注目されることが増えてきた「認知」という言葉(専門用語)について書きたいと思います。

本記事を書こうと思ったきっかけは、今話題のこちらの本で認知機能の話が強調されて書かれており注目を集めている半面、twitterなどで読まれた方の反応を見ていると「認知」という言葉の意味についての混乱が起きている、もしくは今後起きるのではないかと感じたからです。

仮に私の心配が杞憂であったとしても、この言葉は対人支援や教育(特に特別支援教育)においてとても重要な言葉なので、私なりに整理して書かせていただく事に多少なりとも意義や価値はあるのではと思って書かせて頂きます。

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複数の定義について

「認知」という言葉、英語では「cognition」という言葉になります。この言葉を医療、心理、福祉などの対人援助領域や特別支援教育をはじめとする教育領域で専門用語として使用する場合、絶対に押さえておきたい定義として少なくとも大きく2つの定義、つまり「言葉の意味」があります。

それは、認知科学や認知心理学などの領域で使用される場合の意味と、心理療法の一つである認知行動療法の領域で使われる場合の意味です。どちらも近年注目され、現場で用いられることが増えてきている言葉でありますので、それらの違いについてはしっかりと理解しておかないとかなり混乱してしまうことになるかと思います。

少なくともはっきりしているのは、それぞれの領域において全く同じ言葉が、明確に違う意味(厳密に言うと定義)で用いられているということです。両者を専門的に学んだことのある人でないと、その違いに気づくことはなかなか難しいかと思います。

もちろんここでご説明しているのは、あくまで専門用語としての「認知」という言葉についてのお話ですので、一般的な会話において使われる場合とは分けて考えて頂ければと思います。ですが逆に言うと、支援領域や教育において専門用語として使用する場合においては、必ずどの定義において使用しているのかを意識し使い分ける必要があると私は思っています。

この記事では文字数の便宜上、前者を定義①、後者を定義②と表現させて頂こうと思います。次にそれぞれについてみていきましょう。

定義① 認知心理学における「認知」

認知心理学などの(広い意味での)認知科学の領域において認知という言葉は、人が五感を用いて外界の情報を取り入れ、保持や処理し、何らかの方法で出力する一連の情報処理プロセスのことを指すことが多いかと思います。つまり、人の知的な能力を構成する情報処理能力全体を指す言葉ですね。

その対象は「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触れる」など多岐にわたりますし、内的な処理においても「記憶」「注意」「判断」「理解」「平衡感覚」「見当識(今がいつ、ここがどこ、自分は誰か?などの感覚)」など、かなり幅広い機能が研究対象となっています。

定義①の使用例としてイメージして頂きやすいのは「認知症」という言葉です。この言葉は人が老人期になった時に加齢とともに認知機能が低下してしまい、様々な生活上の困難が発生してしまう現象を指す言葉ですよね。

認知症の場合、特に注目されるのは「記憶」の機能です。物忘れの症状は認知症の代名詞というくらい有名かと思います。記憶という認知機能の著しい低下は、覚えておくべき生活上の記憶がどんどん失われてしまいますので、何らかの支援が必要となるわけです。

定義①における認知という言葉のニュアンスをもう少し説明すると、人が意識し自覚する前段階の自分自身では感じ取ることの出来ない部分での情報処理のメカニズムが主なその対象となります。

例えば認知症における物忘れだと、覚えている、もしくは忘れてしまったということが人が自覚できる限界かと思います。(忘れてしまったことを自覚することも、かなり困難でありますが。)この定義における認知は、その「覚えている」「忘れてしまう」ということが起こる前段階の、人の(本人が自覚することの出来ない)情報処理のメカニズムのをその対象としています。覚えていられる人と、そうでない人の記憶のメカニズムに何か違いがあるのか、そもそも人の記憶はどういう流れでどのように情報処理されているのか、などがその興味の対象となります。

その意味で、認知科学は近年急速に脳・神経科学と接近しています。認知(人の情報処理)のメカニズムを支えていたり規定しているのは主に脳や神経の働きだと考えられますので、これは当然の流れだと思っています。

例えばこちらの本は「認知脳科学」という本で、人の認知の働きが脳のどの部分のどんな働きによって起きているのかを解説した優れた教科書となっています。

ちなみに本論とはそれますが、私は認知脳科学の領域は公認心理師や臨床心理士など心理系資格の必須科目にするべきではないかと思うくらいに有益な知見だと思っています。心理系支援者でなくとも発達障害や高次脳機能障害など脳や神経の特異性が主たる要因の領域の支援者は学んでおくべき領域だと思います。

この領域で使われている「認知」という言葉の意味や語感についてご理解頂けましたでしょうか?

研究者によって細かな定義の差はあるかと思いますが、だいたいここに書いたくらいの意味なら、ある程度の学術的なコンセンサスが得られている内容ではないかと思っています。(もし誤りがあるようならご指摘お願いします!)

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定義② 認知行動療法における「認知」

さて一方で認知行動療法や認知療法などの心理療法の領域では、認知という言葉がまた違う定義で用いられています。もちろん全く無関係というわけではありませんが、定義①よりもより限定された意味で用いられています。

例えば、認知療法・認知行動療法学会のHPには認知について以下のように記述されています。

患者によって意識され自覚された思考や視覚的イメージ(これを認知 cognitions と総称する)

(中略)

「ある状況下における患者の感情や行動は,その状況に対する意味づけ・解釈である患者の認知によって規定される」

http://jact.umin.jp/introducti

上記のように定義②では、認知という言葉を「自覚された思考」「状況に対する意味づけ・解釈」というような意味で使用しているということになります。日常用語で言うならその人の「考え方や捉え方の癖や傾向、またその捉え方を通じて得られた考え」といったことを意味します。

「思考」は定義①にも含まれますので、定義①の範囲内といえば範囲内ではありますが、かなり意味の範囲を限定していることがお分かり頂けるかと思います。

例えば認知症で最注目事項だった「記憶」の機能は、定義②においては定義の範囲外となります。もちろん考えるためには情報を覚えている必要がありますが、あくまで前提条件という扱いになるかと思います。

また、厳密に言うと、同じ「思考」でも定義①と定義②ではその意味合いというか対象としているものが異なります。

定義①では知覚よりの視点を重視します。脳科学的な働きの側面を重視すると言い換えても良いかもしれません。人が思考する時に、その裏側でどのような情報処理が行われているのか、つまり自覚することのない基礎的な情報処理メカニズムがその対象となります。

それに対して定義②の場合は「自覚された思考」、「解釈」と書かれていることから分かるように、その人がどんなことを、どのように考えているのかという「思考の中身」を重視しています。基本的には、人が自分自身で認識することの出来る具体的な考えの中身がその対象になるわけです。

もちろん思考にも階層があり、より「無自覚な」思考の層というものも存在します。「あれ?私はなぜこう考えるのだろう?」という感じの探索や自己分析の対象となる部分です。その場合も定義②では深堀りすることで自覚することのできるような「考え方の癖や傾向」レベルまでをその対象とすることが通常かと思います。実際にはものを考えるためには、注意機能や短期記憶、ワーキングメモリーといったより基礎的なメカニズムが働いているわけですが、定義②では通常その部分は対象しないかと思います。あくまで人が自覚することができる範囲の思考の中身がその対象なわけです。

定義②における認知という言葉の分かりやすい使用例として「認知の歪み」という言葉があります。認知行動療法が知られるようになることで、対人支援や教育の世界に広まった言葉ですので、ご存知の方も多くいらっしゃるかと思います。

認知の歪みという言葉は、人の考え方やものの見方のうち、非合理で非適応的な偏った思考パターンを指す言葉です。多少のものの考え方の偏りくらい誰にでもあることですが、それが大きく社会通念から離れてしまっており、生きにくさの要因となってしまっている場合に使われる言葉かと思います。

例えば「べき思考」なんかは有名な認知の歪みの例かと思います。「◯◯すべきだ」という考え方自体が駄目な訳ではありませんが、それがあまりにも過度で何でもかんでも「これはこうすべき」「あの人はこう振る舞うべき」などという考え方ばかりになってしまうと、やはりストレスフルで生きにくさにつながる可能性が高くなるかと思います。

この場合、「これはこうすべき」が具体的な思考の内容、「べき思考」がその人の「思考の癖、傾向」となります。それらを含めてその人の「認知」と呼ぶわけです。

この場合の認知は、定義②の意味で使われています。定義①の意味で認知の歪みという言葉が使われることは、少なくとも専門用語としてはまずないかと思います。少なくとも私は見たことがないです。

無理やりこじつけるなら、例えば視覚的な情報処理機能の困難で「ものが歪んで見えてしまう」ような場合などが考えられるかもしれませんが、通常はこの場合についても視覚認知機能の低下や困難などと表現されるかと思います。

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言葉の区別と使い分けについて

そして私が今回一番伝えたいことは、これらの概念は明確に区別して考えるべきものだということです。「安易に混ぜるな、危険!」とでも言っておきましょう。

例えば定義①における「認知機能の低下」が定義②における「認知の歪み」とどういう関係にあるのかは、まだ未解明な部分が多すぎて誰も確定的なことは言えないはずです。

「この人は認知機能に問題があるため、認知の歪みが大きく非常に残忍な性格になってしまった」などと言う、一見もっともらしい説明をそのまま鵜呑みにしてはいけないのです。この説明がなぜ良くないかというと、定義①と定義②の「認知」という言葉を一つの文章の中で区別せずに使用しているからです。

そうなると、「認知機能の低下」=「認知の歪み」であるという誤った理解が生まれてしまうかもしれません。いやむしろ文字が全く同一なだけに、そういった誤解を誘導してしまう可能性が高い文だと私は思います。

もちろん、認知機能の低下や困難が背景要因の一つとして認知の歪み発生に一役買っている状況がある可能性はありえます。けれどそれはあくまで背景要因の一つとして捉えるべきであり、それらを直結する因果関係、もしくは全く同一の現象として理解することとは全く別の話です。そうでないと認知機能の苦手さのある人は、みんな考え方が偏っているということになってしまいます。

かなり長くなってしまいましたので今回はこの辺で終わりたいと思います。次回は、今回触れることが出来なかったけれど気になるテーマである「認知機能のトレーニング」について、私なりに書きたいなと思います。

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