叱るについて③ 叱る以外の方法論「前さばき編」

心理士パパの子育て、教育、対人支援もろもろ雑記帳

こんにちは。

叱るについての連続記事の続きです。

前回は叱る依存に陥ってしまった場合の悪影響と、抜け出そうとすることの難しさについて書きました。今回は、叱る以外の方法で子どもたちの学びや成長を促進するための、視点や方法論について書きたいと思います。

ただ、本来はこういった問題は個別性が高く、ひとりひとりの状況や登場人物の個性や特性を把握しながら考えるべき問題です。なのであくまで一般論としての、基本的なものの見方や方法論をお伝えするものとなるかと思います。

とはいえ、読者の方に少しでも有益なお話となるように分かりやすく書きたいと思っています。前回まで同様可能な限り学術的な専門用語は使わずに書きたいと思います。

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「前さばき」と「後さばき」

前回も少し触れましたが、教育や支援を考える時にとても大切な視点の切り替えに、事の前後を区別して考えるという視点があると思っています。私はそれを保護者さんや支援者さんにお話する時に「前さばき」と「後さばき」という言葉でご説明することが多いです。

例えば、ある子どもが本来座って静かにしていないといけない場面で立ち歩いたり、大きな声を出してしまったりしてしまう場面で考えてみましょう。

問題とされる行動が見られる前の(多くの場合直前のことを考えます)その子どもの状態像や周囲との関わりを考えたり、修正する視点が「前さばき」の視点です。言い換えるなら、なぜそもそもその子がその言動をするのか、もしくはせざるを得ないのかを考えるという視点です。

そして、問題となる行動があった後に周囲がどのような対応をしたのか、もしくはその子にどんなことが起こったのかを考えるのが「後さばき」の視点です。叱るや褒めるなどはこの後さばきの代表的な方法論と言えるかと思います。

学びや成長の支援や教育にはこの「前さばき」と「後さばき」の両方の視点がとても重要です。ですが、こと叱る依存状態の予防や脱出を考える際には、「前さばき」を重視することがとても大切だと私は思っています。うまくいってない時ほど「前さばき」が頭から消えてしまって見えなくなってしまうことが多いからです。

「もぐら叩き」状態で前さばきが見えなくなる

叱る依存状態に陥ってしまっている場合に、よく聞かれるセリフに

「こんなに何度も言っているのに全然変わらない!」
「見つけるたびにきつく言い聞かせているのに直らない!」
「何回も説明しているのに理解してくれない!」

などがあるかと思います。

こういった視点が長期化することで「だから厳しく叱らなくてはいけない」「少々痛い思いをしないとわからない」「これだけ言ってもわからないのだから、怒鳴りつけても仕方がない」という発想になりやすい状況が生まれます。言うまでもなく、叱るが正当化されて叱る依存が起きやすい状態です。

私はこういった状態を「もぐらたたきゲーム状態」と呼んでいます。子どもたちの問題となる言動を今か今かと待ち構えて、「ほらやっぱり」「またやった」という感じで叱ることが繰り返されてしまう状態です。ここで見えなくなっているのが前さばきです。こういった場合、「言い聞かす」も「説明する」も本来、前さばきとして行うべきことが後さばきとして行われてしまっていることがとても多いように思います。

必死に言い聞かしたり、説明したりしているつもりでも、よくよく考えるとそれはほとんど全部問題が起こった後にしている。つまり前さばきがほとんど考えられておらず、適切な事前の対処が取れていないことが多いということになります。

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「しない」のか?「出来ない」のか?

ここからは「前さばき」を考える上で、重要ないくつかの視点をご説明したいと思います。まずはこれ。「しないのか、出来ないのか」問題です。これは言い換えると(この連載の初回にご説明した)未学習か誤学習かという問いともよく似た視点ですが、より分かりやすくてシンプルなので好んで使ってます。

この問に関しては「この子は出来ないんじゃなくてしないんです」と言われる場合が多くあります。でも本当にそうでしょうか?一見すると、「しない=誤学習」と見える言動の裏側に実は、知らない、分からない、気づかない、忘れてしまったなどの「出来ない」が潜んでいることは少なくないのです。

気になる行動が、「しない」に見えて実は「出来ない」だったとしたら、その背景には一体何があって出来ないのか。そのことを考えるのはとても重要なことです。

あと、この視点でもう一つ重要なのは、「過去に何度か出来たことがあるという事実」では「出来る」ということの根拠としては弱いということです。子どもたちの能力というものは非常にアンバランスでその時の状態にも大きく左右されます。ですので、一度出来たら次も必ず「出来る」とは限りません。何度か出来たことだけを理由に、「出来ない」のではなく「しない」のだと考えるのは、かなり論拠が薄いということになります。「出来るのにしない」と言えるためには、その子はその気になればいつでもほぼ100%に近い確率でそれが出来ることが前提とならなくてはいけません。

「出来ない」場合の対処

しないと見えた行動が出来ないだった場合の前さばき対処には大きく2つあります。1つ目は「要求水準を下げる」。2つ目は「出来ない理由を明確にして、サポートする」です。

一般的な子育て環境を考えるならば、圧倒的におすすめなのは1つめの要求水準を下げるという方法論かと思います。今求めている要求水準には満たないけれど、まあ許容範囲な言動レベルというところに求める水準を下げることや、今確実に出来る水準だけを求めるようにする、だけでかなり子どもも関わる大人も楽になれるかと思います。後は、時間や成長とともに徐々に出来ることを増やしていくだけです。

一旦要求水準を下げることができれば「あれ?なんであんなに必死になってたんだろう」という感じになることも少なくないかと思います。

2つ目の方法論は上級編ですが、興味とやる気のある人はトライする価値は十分にあります。なぜ出来ないのか?出来ない理由を、やる気や根性といったような精神論以外の理由で説明しようとすると、人間の情報処理や身体動作を支えるメカニズムや子どもの発達に関する専門知識が必要になります。その為そのあたりは、専門家の助言を求めるなども有効な手立てになってくるかと思います。

支援者、教育者の立場なら、子どもたちの発達科学や認知科学、脳・神経科学、行動科学などを学ばれることを強くおすすめいたします。きっと取り組みが大きく変わります。

そういった知識を得て、「なぜ出来ないのか」が論理立てて理解できるようになると、不思議なもので子育て、指導、支援する側に精神的なゆとりが出来ることが多く、その子の特性にあわせたやり方を考えることがしやすくなる傾向があります。

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そもそもどうなったらOKなのか?

ここまで、困った行動や気になる行動についてどう考えるのか、どう対処するのかについて書いてきました。ですが実はとても重要なもう一つの視点があります。

それがこの「求める言動は何か?」という問です。

お子さんの言動に、困った行動や気になる行動が増えると周囲の大人たちの発想はどうしても「これをやめてほしい」「これさえしなくなってくれたら」とその言動をなくすこと、減らすことに意識が奪われがちです。そういう時に「この状況において、どう振る舞ってほしいのか、どうあってくれたらOKと言えるのか」という問いについて考え、そう振る舞ってもらうために出来ることは何か、を考えることはとても有益なことです。

叱る依存に陥ると、望む行動が思い浮かばず、やめてほしい行動、消えてほしい行動ばかりが気になって頭に浮かぶようになってしまいます。それではなかなか望む行動が増えることを支援することは出来ません。

このようにお伝えすると、望む行動を考えそれを増やそうとしても、問題となる行動が減らなかったら解決にならないじゃないかと考えられる人もおられるかと思います。しかしながら、人の時間は有限です。ある場面において「望ましい行動」が増えるということは、かならず「問題となる行動」をする時間が減るということを意味しています。人は望ましい行動と問題となる行動を同時に行うことは困難だからです。

ここまで、叱る以外の方法論の「前さばき」について書きました。何かヒントになるようなことはありましたでしょうか?

今回はこの辺にして次回は後さばきについて書きたいと思います。では!

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