「厳しくてつらい環境」を我慢しないと人は成長しないという誤解について①

心理士パパの子育て、教育、対人支援もろもろ雑記帳

こんにちは

今回は、人の学びや成長についてまわる誤解について書きたいと思います。わたしの今までの経験上、子どもたちに関する話が中心になるかと思いますが大人の方でも基本的には同じだと思います。

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理解や配慮VS厳しさ?

このテーマ、少し前にツイッターでもつぶやきましたのでまずはそのご紹介からお話を始めたいと思います。

【以下連続ツイート内容】

合わない環境で頑張るということは、環境に順応すること一定のエネルギーが奪われるということです。そうなると、当然本来学ばないといけないことや身につけなくてはいけないことに注げるエネルギーが減ります。もっとエネルギーを環境順応に奪われすぎると、動けなくなってしまうことも多いです。

支援者がしなくてはいけないことは環境順応に奪われるエネルギーを最小化し、この子たちが将来戦っていくための、武器(知識や技能や社会関係資本など)とエネルギー(自尊心や意欲や前向きな価値観など)を目一杯渡してあげることなのだと思っています。

それが将来に向けた本質的な備えだと思います。

強く言いたいことは、その子に合った環境を提供することは

「何をしても許される環境」
「甘やかし特別扱いする環境」
「ルールや規則のない環境」 等とは全く違います

もしこの違いが分からない支援者、教育者、医療者の方がおられたら
厳しいようですがもう一度基礎から学び直しをお勧めします

ここでお伝えしたかったことを捕捉しながら、学びや成長に必要な環境のありかたについて考えたいと思います。

この一連のツイートでお伝えしたかったことは、学びや成長が求められる環境において、学びや成長と直接関係のないことにエネルギーを奪われることは非生産的であるばかりでなく、時として害になり人に悪影響を与えてしまう側面です。

その場合「厳しい環境」という言葉が単に「つらく、苦しい環境」という意味の言葉になってしまっている場合が多いように思います。そして逆に言うと「厳しくない環境」=「何をしても許される甘やかしの場所」という安易な結び付けがなされている場合が少なくないように思います。

つまり、人を成長させたいなら「つらく、苦しい思いをすることが必要」で、そうでない環境、つまり理解や配慮は「甘やかしなので成長しない」と考えられている場合があるということではないかと思います。

果たして本当にそうなのでしょうか?

学びや成長における理解や配慮の本質的意味

答えは明確にNOだと私は思っています。理解や配慮を甘やかしだと断ずる人は、理解や配慮が必要な意味を誤解されているのだと思います。

ではなぜ、理解や配慮は学びや成長に必要なのか

私は、学びや成長のための環境において、理解や配慮が求められることの本質的な意味は、「その人が本来取り組むべき課題にエネルギーを多く注げる状態」を作ることにあると思っています。

これはとても大切な視点だと思うのです。発達段階やそれまでに身につけてきた技能、知識から考えた時に、その人が今「学ぶべきこと、考えるべきこと、身につけるべきこと」があるはずです。それに取り組むことにその人のエネルギーを注げているかいないかは、当然ですがその人の成長に大きな影響を与えるはずです。

しかしながらなぜかその視点よりも、その人がどれだけ厳しい環境に耐えているか、我慢しているかの視点のほうを重視してしまう場合があります。別の言い方をすると、本来注ぐべきことではないところにエネルギーを注いで頑張っている状態を「努力している」「頑張っている」よい状態としてしまう落とし穴です。

そういった状態を回避するために必要なのが「理解」であり、理解に基づく「配慮」なのです。


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落とし穴の背景

学びにとって本来的には必要のないはずの、合わない環境への適応努力や我慢を、人はなぜ必要なこと、素晴らしいことと感じてしまう場合があるのでしょうか。

それはその発想の根本に、罰や苦しみを乗り越えないと人は行動しない、もっと言うと変化や成長が起きないという人間観が根底にあることが多いように思います。これらの人間観は近年、様々な領域の研究や知見により否定されている考え方です。

たとえば行動分析学という研究領域があるのですが、そこでは罰や苦しみなどで人をコントロールすることの効果は限定的であり、また副産物としてのよくない波及効果が大きいと考えられることが定説となっています。

しかしながら、人の直観的な理解だといまいちピンとこない部分もあるのか、なかなかこうった考え方は普及していないように思います。そこで起こっていることは、学びや成長の当事者である子どもたちにとって良いことは何かという視点ではなく、周囲の大人たちの感情や感覚的に気持ちの良いものが選択されてしまっているという構造です。

長くなってしまったので、この続きは次回に書きたいと思います。次回はハームリダクションという近年注目されている考え方についてご説明しながら、このテーマを深めていきたいと思います。

【行動分析学とその周辺領域について、いくつかおすすめの入門書貼っておきますので、興味のある方はぜひご一読ください。】

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