カサンドラ症候群について② 構造的理解の仮説

発達障害よもやま雑記帳

サンドラ症候群について① ではその言葉の生まれた背景や定義、誤用問題について書かせて頂きました。今回はカサンドラ症候群と呼ばれる状態像について、私なりの構造的理解の仮説をお話したいと思います。前回よりも少し突っ込んだ話になるかと思います。

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「惹かれ合う二人」という見逃されがちな大前提

まず一番最初に考えたいのは、カサンドラと呼ばれる状態が多くの場合前提として「惹かれ合い、望んで一緒にいるパートナー同士」の間に発生している現象であるということです。これは、この問題を考える上で絶対に外してはいけない視点だと私は思っています。別な言い方をすると「(少なくとも初期段階においては)互いを必要としあう二人」の間に発生する苦しみなのです。

これはカサンドラと、カサンドラではないものを見分ける上でもとても大切な視点だと私は思っています。なぜならお互いを(もしくは少なくともどちらか一方が)もうパートナーとして必要としていない状態において感じる苦痛や悲しみは、ありとあらゆるパートナーシップにおいて共通だからです。

もっとシンプルに言うなら、互いに愛情がなくなってしまった時にそれが苦痛であることは至極当然のことで、取り立てて特別な名前をつける必要はあまりないということになります。(もちろんそれはカサンドラであろうがなかろうが、大変に大きな苦痛ではあります。)

カサンドラと呼ばれる現象は、自閉スペクトラム者とそのパートナーが惹かれ合い、互いに望んでパートナとなったその関係性のうえに起こることで、その大前提を忘れてはいけません。

ではなぜ惹かれあうのか?

それは、お互いの足りないものを補い合うような感覚を互いに感じるからではないかと私は思っています。実はカサンドラ症候群のパートナー側(自閉スペクトラム者ではない側)の人たちには、大きく捉えると共通する傾向が見られるように思います。(個別性の高いことですので、よくある傾向としてくらいに思って頂けると幸いです)
それは感情の動きに敏感な人が多いということです。ここで言う敏感とは自分の感情にも他者の感情にも、どちらにも鋭敏で繊細な感性を持っておられる人を指しています。その意味では自閉スペクトラム者と真逆の特性を持っている人たちと言うことも出来るかと思います。

カサンドラと感情に敏感(HSP)な人たち

ちょっとややこしいのですが、この感情に敏感な人たちにも名前がついていましてHSP(ハイリー センシティブ パーソン)と呼ばれたりします。この言葉も精神医学用語のような語感ですが、実はカサンドラ同様、正式な医学用語ではありません。そしてこの言葉の定義もかなり混乱しているように思いますので、ここでは感情に敏感で繊細な人というくらいの意味で使いたいと思います。

自閉スペクトラムタイプな人とHSPタイプな人、これ実は恋愛場面において惹かれあいやすい組み合わせなんだと思います。特に恋愛関係の初期〜中期場面では、お互いにとても魅力的に映ります。物事を常に論理的かつ客観的に捉え行動するタイプと、人の感情の機微を繊細に捉える気遣いのうまい人みたいな感じで、互いの足りないものを補い合うような状態が生まれやすい組み合わせと言えるかもしれません。

これを知っておくとカサンドラ状態の方に、見る目がないだの、すぐに別れたらいいだの言うことが多くの場合で的外れであることがお分かり頂けるかと思います。そこには確かにパートナーである必然性が存在しているのです。

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カサンドラ状態が生まれる理由


ただしやはり問題もあります。多いのはHSPタイプの方が耐えられなくなるパターンです。この状態の根本は、「私はこの人に愛されていない」「この人にとって大切な存在ではない」と感じることにあるように思います。これの前提は「私はこの人を愛している」です。つまり、愛する人に愛されていないのが辛いということ。これが片思いならまだしも、恋人や家族という関係性で感じるのでより辛く感じるのです。

先程も言いましたが、これがもし「事実として本当に愛情が存在しない、互いを必要としていない」状態であるなら、それは他の多くのパートナシップで起こる問題と同じです。ですがそれをカサンドラとわざわざ名前をつけているのは、互いに愛情を感じ、その存在を必要と感じているにも関わらずそれがうまく伝わらないことが多いところにその特徴があるのだと思います。

伝わらないという言葉では適切ではないかもしれません。伝え方が下手な人だなあと思えるレベルではなく、そこに愛情があることが信じられなくなる、愛情などある訳がない!と感じられるというのが実情かと思います。

これはHSPタイプの人にとってはとても深刻な問題です。日常接するパートナの言動のどこをどう切り出してもそこに愛情が感じられない、自分を必要としているように思えない、という状態は本当に辛くて苦しい状態です。

そうなると自閉スペクトラム者側も、そんなパートナの状態が理解できず強い混乱とフラストレーションを感じることが多くなります。フラストレーションを貯めるパートナを見て感情に敏感なHSPタイプの人たちがさらにまた追い詰められていく、という悪循環が生まれます。カサンドラが別名、情動剥奪症候群と言われることがあるのは、このあたりが影響しているのかなと思います。

今回のお話はここまでとさせて頂きたいと思います。次回はいよいよこのテーマで一番お伝えしたい、異文化相互理解の視点について書きたいと思います。

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