ニューロダイバーシティについて① 言葉の意味と基本知識

ニューロダイバーシティ

こんにちは。

対人支援者としての、私の重要な基本キーワードの一つに「ニューロダイバーシティ」という言葉があります。発達障害と呼ばれている現象が「ほんとのところ一体何が起きているのか」「より生きやすい社会にするために何が必要なのか」を考えてく上で、とても大切な言葉だと私は思っています。またこの言葉は、医学的な定義における発達障害や自閉症スペクトラム(ASD)という領域だけには留まらない、人間の多様性や特性をより深く理解するのに必要な概念だと私は思っています。

今回はこのニューロダイバーシティという言葉について、私なりの整理と理解について書きたいと思います。

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ニューロダイバーシティとは

まずは基本的な言葉の意味から。

ニューロダイバーシティという言葉は「neuro(神経)」と「diversity(多様性)」が組み合わさって出来た言葉なので、直訳すると神経多様性とか、脳多様性などと訳されることが多い言葉です。

単に脳や神経の状態の多様性を表現するにとどまらず、ニューロダイバーシティは、社会の中でより積極的に多様性を尊重していこうという文脈が含まれる言葉です。つまり「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを、多様性と捉えて相互に尊重していこう」というような考え方ということになります。

この後にこの言葉の歴史についても触れますが、歴史的な経緯からこの言葉が「自閉症スペクトラム」や「発達障害」の別名であるかのように捉えられているような場合も見受けられますが、本来的な意味に立ち返るなら、尊重すべき脳や神経の多様性の持ち主は「すべての人」であると考えるべきだと思っています。

ニューロダイバーシティと自閉症

とは言え、ニューロダイバーシティという言葉が、自閉症スペクトラム(ASD)と切っても切り離せない深い関わりを持った言葉であることは、この言葉を正しく理解していく上で必ず知っておかなくてはいけない重要な事実だと思います。なぜならこの言葉はASD当事者によって生み出され、ASD当事者によって育まれた言葉だからです。そのため、この言葉をASD者以外に使うことに強い抵抗感を感じられる方もおられると聞いたことがあります。

ニューロダイバーシティという言葉の歴史的な流れを簡単にではありますがご紹介します。この言葉、確認できる記録が残っている限りで一番最初に用いたのは、Jane Meyerdingというお名前のASD当事者女性が1998年にインターネット上に公開したエッセイだと言われています。彼女はそのエッセイの中で自らの生きにくさについて切々と語られ、その文脈の中でニューロダイバーシティという言葉を使われ脳や神経の多様性を社会が認識することの重要性を訴えられています。またニューロダイバーシティの対義語としてニューロユニバーシティ(脳や神経の普遍性)という言葉を使っておられるのも印象深いです。

このエッセイ、私の知る限り日本語訳されたものは公開されていないようなので、またこのブログでご紹介できればいいなあと思っております。(私の英語力では翻訳に膨大な時間がかかるため、翻訳得意な方でご協力頂ける方がもしおられましたらお申し出いただけますとほんとありがたいです。)

そしてニューロダイバーシティの歴史を語る上で外せないもう一人の重要なASD当事者がJudy Singerさんです。彼女は社会学者で学術的な意味でのニューロダイバーシティの生みの親と言われる人物です。彼女は脳多様性と表現されるべき差異がASD当事者たちのアイデンティティにおける不可欠な一部であることを指摘し、その後の社会運動に多大な影響を与えました。

時期で言うと2000年前後くらいの出来事で、ドナ・ウィリアムズさんやテンプル・グランディンさんが自伝を出版されて話題になった少し後のことになります。

下記記事にも書きましたが、圧倒的に男性が多いとされる自閉症スペクトラムの、歴史上のキーパーソンに挙げられる人物にとても女性が多いことを私達はどう考えればいいのか、とても興味深い事実ではないかと思っています。

【良書紹介】今だから読みたい。自閉症当事者本の「古典」とも呼べる良書たち
今回の紹介する三冊に共通するのは、著書が自閉症当事者であることと、だいたい20〜30年前に出版されているこの領域の「古典」とも呼べるような本たちであることです。
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ニューロダイバーシティと自閉症文化

その後、ニューロダイバーシティは主にインターネット上で活発に行われた自閉症スペクトラム当事者の社会運動に発展していきます。

その中で、生み出された特に重要なキーワードとして「自閉症文化」という言葉があります。私個人も自閉症について語る際に「異脳が生み出す文化の違い」という説明の仕方をよくするのですが、そういった発想の背景となっている考え方です。(蛇足ですが、実は私が自閉症について文化という言葉を使うようになったのはニューロダイバーシティ運動における文化論を知る前なので、それを知ったときはちょっとした感動を感じました笑)

この考え方は、ASD当事者にとって自閉症という特性はその人と切り離すことのできないものであり、その人を形作るアイデンティティに深く結びついている、もしくはアイデンティティそのものであると考える考え方です。

つまり、自閉症という現象を「何かが劣っている、欠けている状態」と捉えるのではなく、自閉症という独自の文化を持った文化的少数者であると捉え直す眼差しと言えるでしょう。

私も、支援者として基本的にこの考え方に賛同する立場を取る一人です。ニューロダイバーシティという考え方が当たり前の社会になれば、ASD者のみならず多くの人にとって今よりももっと生きやすい社会になるのではないかと思っています。

ただ、ニューロダイバーシティという考え方を取り入れたとしても、今目の前にある「生きにくさ」が消えてなくなってしまうというわけではありません。一方で存在する支援ニーズを否定することがないようにしなくてはならないとも強く思うのです。

ニューロダイバーシティについては、書きたいことがたくさんありますが、今回はこの辺にしたいと思います。次回はこの文化という視点を、より詳しく書きたいと思います。

では!

【参考資料】

Jane Meyerdingさんのエッセーはこちら

Thoughts on Finding Myself Differently Brained

Judy Singerさんの本はこちら

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