「自閉症(ASD)には◯◯が向いている」の落とし穴

発達障害よもやま雑記帳

こんにちは。

支援現場で保護者の方や当事者の方が「自閉症(ASD)の人にはプログラミングが向いているから習わせたほうが良い」や「自閉症(ASD)の人には農業が向いていているから、○○は諦めて農業に就職したほうが良い」などと言われることがあるようです。

一見親切心で言っているように見えるこれらの発言、実は適切ではない可能性が高い発言です。少なくとも発達障害支援者や医療者の立場で安易に言っているのなら、不適切な発言だと私は思います。今回はこのテーマについて思うところを書いておきたいと思います。

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全体の傾向を個人に当てはめる落とし穴

まず、私の認識と実感においても「全体の傾向として」自閉スペクトラム傾向の強い人に、プログラミングが向いている人や、農業が性に合う人が多いということ自体はあるように思っています。ただその全体の傾向を、安易に「目の前のその人」に当てはめようとすることは、全体の傾向を語ることとは全く別の行為です。少なくともその根拠が「自閉症だから」ということなら大問題です。

考えてみてください。

日本人の方が仮に外国で職を求めたとして、「日本人だから」という理由だけで「寿司屋で働くべきだ」とか、「手先が器用なんだから職人を目指しなさい」なんて言われたら、強烈な違和感と不快感を感じられることでしょう。

そりゃそうです。日本人がみんな寿司を握れるわけでも手先が器用なわけでもないわけで、日本人だからという理由でおすすめされても困る訳です。自閉スペクトラムに関しても、個々人で見るとかなり特性の幅が広いため同様のことが言えるかと思います。

全体の傾向を安易に個人に当てはめて語ることは、かなり非生産的な行為であると私は思います。

現場では「大きな主語」は使わないほうがよい

そうやって考えると、至極当然のことなのですが、重要なのは「目の前のその人」の特性や能力を理解し、それらに合った道を探ることです。それは自閉スペクトラム者だろうと神経学的多数派だろうと全く変わりません。

そう考えると、自閉症スペクトラム障害とか、自閉症とか、アスペルガー症候群という言葉は、支援や教育、医療の現場で個人に対して使う言葉としてはあまりにも「大き過ぎる言葉(主語)」なのだと思います。

この「大きな主語」という言葉は、元NHKアナウンサーで今はフリージャーナリストの堀潤さんに教えてもらった言葉なのですが、とても汎用性が高く支援現場でも大切な発想だと私は思っています。

支援現場で言うと、「大きな主語」を連発する人や、「大きな主語」から断定的なことを言う人は、残念ながら専門性の低い人と言わざるを得ないと私は思っています。それは、大きな言葉に頼らざるを得ないくらいに、個々の具体的な特性を理解する知識や経験に乏しい可能性が高いからです。私は自分自身が支援者でありまた支援者を養成する事業を運営する立場や経験から、自戒の念もこめて強くそう思っています。

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重要なのはなぜ向いているのかを理解すること

これらのことから、もし目の前の自閉っ子に「プログラミング」をオススメするなら、その根拠として「なぜその人にプログラミングが向いている、合っていると言えるのか」を同時にきちんと説明出来なければいけません。もちろんそれは「自閉症だから」というような大きな主語を用いた説明ではなく、その人のより具体的な特性や能力を根拠としなくてはなりません。

それともちろん「プログラミング」そのものについても最低限の知識と理解は必要になります。これら両方が揃って「こんな方法もあるよ」と提案する前提が揃うのだと思います。逆に言うなら、これらの前提が揃っていない中でそのような発言をすることはとても無責任で、かつ専門性に欠ける言動であるということになるかと思います。

また、そもそも本人が「やりたい」「おもしろそう」と思えるかどうかというような主観的な感情体験もとても大切な要素となります。たとえお勧めできる前提が揃っていたとしても、本人にその気がないことを無理強いすることはすべきではありません。

また長くなってしまいました。次回は、どんな人がプログラミングに向いているのかなど、特性との結び付きについて私なりの理解を書ければなあと思います。

今回はこの辺で!

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