掛け算順序問題から人の能力の多様性を考えてみた

心理士パパの子育て、教育、対人支援もろもろ雑記帳

こんにちは

今回は教育関連の気になるトピックス「掛け算の順序問題」についてTwitterで呟いたのをきっかけに、人間の能力のあり方の理解というテーマに話が及び、いろいろ思うところがありましたので思考整理も含めて書かせてもらいたいと思います。

スポンサーリンク

掛け算の順序問題とは?

この問題ご存じない方のためにWIKIページ張り付けておきますね。

かけ算の順序問題 - Wikipedia

要は、「5人掛けの椅子が6脚あります。何人座ることができますか?」という算数の文章題の立式で「5×6」ではなく「6×5」と書くことで減点されたり、不正解であるとする指導が行われることを指しています。

話のきっかけはある教員の方のツイートに対して私が呟いた以下のつぶやきです。

このつぶやきからお分かりいただけますように、私は掛け算の順序指導に対して否定的な考えを持つ立場を取っています。否定的なというのは、「それが必要な子どもに考え方の一つとして教えることはともかくとして、少なくとも必須とするべきではない」という考えです。

もう少し具体的に言うと、掛け算は一つ分✕いくつ分という順番が「絶対的に正しい順番」であり、それぞれ具体的に何を意味しているのかを「言葉で説明できなければならない」という固定的な指導は適切ではないと考えています。

twitterではそこから以下のような考察をしました。

以下連続ツイート内容

その場合、何が起きているのだろうと考えた結果 言語的な処理能力が極端に優位で、数的処理の苦手さを言語理解で補うことをされてこられたタイプなのかもしれないと思い至りました そういうタイプの方には、確かに一つ分×いくら分という説明が有効そうだとも思います

これは新たな気づきでした

ただ、そういうタイプの方には、言語を全く介さずに、数を直接思考し数的な処理を行うタイプの人のことは、まったく想像も出来ないだろうと思います なので、掛け算や足し算の順序問題指導が、躓きの原因となってしまうタイプの人がいるということが全く理解できず、理解の齟齬が起こる

ふと考えた思いつきの仮説ですが、もしかしてなかなか核心をついているかも、なんて思いました もしそうなら人は自分基準で世界を認識することから逃れることが困難だ、ということの一つの例だなあと思います だから人は人について学ばなくてはならいのですよね

この話についてもう少しいろいろと考えることがありましたので、個人的な思考ではありますが整理していきたいと思います。

掛け算の順序が必要だという意見の根拠

このテーマについて色々と関連ツイートを見ていると、算数の力を伸ばすために掛け算の順序が必要だと考えられておられる方の背景には以下の2つがありそうだと思いました。

①発達段階的に一時的に必要説

掛け算の順序はいずれ不要になるが、掛け算を学び始める時期の子どもたちの発達段階を考えると、掛け算の順序を使った指導が必要だとする考え方かと思います。

つまり、まだ抽象的な概念理解が難しい時期なので、一つ分✕いくつ分というふうに具体化することで理解が促進されるのだと考えておられるのかなと思います。子どもの発達段階を踏まえているので、なんとなく説得力を感じられる人もおられるのかもなあと思いました。

②生活場面との結び付けの為に必要説

まず、「算数という教科は生活場面に密着した数の処理の実用を重視している、数学とは別の教科である」とする考え方があるようです。そこから掛け算のそれぞれの数字が実際何を意味しているのかを理解することが重要であり、その為には掛け算の順序を理解し、数字の意味を説明できることが必要となると考えられているようです。こちらは先の発達段階説以上に、このように考えられておられる方が多いのかなという印象を持っています。

以上私が理解した2つの掛け算の順序必要論ですが、私の私見を述べるとどちらも「掛け算の順序指導を必須とする」理由にはなり得ないと思っています。

このテーマ、私が今回書きたいと思っている人間の能力の多様性理解に直結するテーマであり、誤解を説いておきたいと強く感じたのできちんと整理して書きたいなと思います。

スポンサーリンク

村中が掛け算の順序指導を必須とするべきでないと考える理由

なぜ私は掛け算の順序指導を、少なくとも必須とするべきでないと考えるのか。それは数的な処理能力と言語の処理能力が根本的に別の能力であり、それぞれの発達スピードが子どもによって異なっていると考えているからです。

そして、言語の発達がゆっくりで、数的処理の発達が早いタイプのお子さんにとっては、掛け算の順序指導は学びを促進するどころか、躓きの原因にしかならないだろうことが容易に想像できます。言葉では説明できないが、数的処理は可能で正解できるタイプの子どもがいるのです。

少なくとも1つ目の説はこのことを踏まえるとあまり妥当ではないということがお分かり頂けるのではないかと思います。子どもの発達は多様であり、一つの方法に絞ることではじき出されてしまう子どもたちがいるのです。

また、(twitterでもつぶやきましたが)言語と数の処理が独立した能力であり、ほぼ言語を介さずに数を処理する人が存在するということは、言語処理優位な人にとってはなかなか理解や想像がしにくいだろうなあとも強く感じました。

これらのことから私が掛け算の順序問題から感じたのは、過度な言語理解重視の教育的価値観の存在です。つまり、「言葉で説明できないということは、理解できていないし身についていない」とする考え方が強く多数派を占めているのではないかということです。

このことは具体例を用いながらもっと丁寧にご説明する必要があると思います。次回は2つ目の説への対論を具体例として、より詳しく人間の能力の多様性について書きたいと思います。

長くなりましたので今回はこのへんで!

続きはこちら

タイトルとURLをコピーしました