こんにちは。
前回の続きを書きたいと思います。まだ読まれていない方はぜひ前回を先にお読みいただければと思います。
もう一つのすれ違い
前回ご紹介した会話の中には、すでにご説明した「文脈重視と定義重視」に由来するすれ違い以外に、もう一つ大きなすれ違いが紛れています。
それは「指示語」に関するすれ違いです。該当箇所を再度引用しますね。わかりやすくするために母と娘を示しておきます。
母「嘘ついてるのはそっちでしょ!」
娘「そっちってなんだよ!意味わかんない!」
母「意味わかんないって何よ!なんで素直に認められないの?」
娘「だからそっちって何!?なんで答えてくれないの?」
母「嘘ついてるのはこっちじゃなくてそっちでしょ。何度も言わせないでよ」
娘「意味わかんない!ほんと意味わかんない!」
母「なんでそんなに意地っ張りなのよ!」
娘「答えてよ… 泣」
途中から会話が全く噛み合っていないことにお気づきでしょうか?
母親はずっと「約束したことをなぜ素直に認めないのか」ということを指摘し続けています。そして母の視点からすると明らかに嘘をついている娘が、なぜこんなにも頑なに自分の非を認めないのかが分からずとても感情的になっています。
特に「そっちってなんだよ!」なんて言い返されているものだから、自分はまったく嘘をついておらず、嘘をついているのが母親であるかのように反発されていると感じていることでしょう。
では娘は一体何を訴えているのでしょうか?
伝わらない「そっち」
それは文字通り、「そっち」という言葉がこの場合何を意味しているのかが分からずに混乱しているのです。この文脈におけるそっちが誰を、もしくは何を意味しているのかがピンとこなくて分からない。だからずっと「意味を教えて」と母に言っているのに、一向に教えてくれないのでフラストレーションを感じているという状況です。
ですが文脈重視で言葉を使うことが当たり前である母からすると、「そっち」という言葉の意味が伝わっていないなどとは夢にも思っていません。なので娘が反発しているとしか感じていないので、質問に答えてくれることは起きないのです。
そして娘の視点でいうと、自分は文字通り質問を投げかけているのに「質問」だとすれ母には認識してもらえていないことに娘は全く気づいていません。それは言葉を字義通りの定義で用いることが当たり前な娘の視点からすると、全く想像の範囲外の出来事だからです。
神経学的多数はからすると一見明らかな、この場合の「そっち」という言葉の意味をなぜ娘が分からなかったのか、少なくとも自明の理とは感じずに母親に確認しようとするのかについては、少し説明が必要かもしれません。
それも結局同じ理由で「指示語」というものが非常に文脈依存的な言葉であることが理由となっています。この場合は暗黙の了解として「こっち」が母親、「そっち」が娘という設定をして話をしています。話をしている主体が母親という認識なので、母親からするとそんなことは当たり前なことということになるでしょう。
しかし娘の立場からすると、それはあまりにも恣意的で暗黙的な設定であり、そこは「感じ取れない」もしくは感じ取れたとしても「相手に確認しないと本当にそうなのかはわからない」というふうに娘の視点では感じるわけです。
以上、「二時までに片付けできる?」「出来るよ」から始まるすれ違いについての解説をお届けしました。この2つめのすれ違いについては、他者視点のお話やコミュニケーションにおける主客の入れ替えなど関連するテーマがいろいろとあるのですが、長くなってしまいますのでまた別の機会に
それらのテーマについては書きたいと思います。
では!