みなさまこんにちは。
先日、拙著『〈叱る依存〉がとまらない』を読まれた男性から、出版元経由で感想のメッセージを頂きました。頂いた内容があまりにもうれしいものだったので、ご本人に許可を頂いてこちらで紹介させて頂きます。
その方は、現在DV加害の更生プログラムに参加されておられる方で、過去にとても「厳しく」育てられ、「まさしく「あのときの厳しさがあったから今の自分がある」と思って、娘さんにも”本人のためを思って”厳しく”接していた」のだそうです。そういった背景をお持ちの方からのご感想なので、かなりドキドキしながら読んだのですが、本書を前向きなメッセージとして受け止めて頂けたことがうれしくて、うれしくて…。
私はこの本の最後に、迷いに迷った末に「未来への希望を込めて」と書き添えました。それはこの本が「叱る人を叱る、糾弾する」ためのものではなく、誰もが生きやすい社会に近づくための希望の本になってほしいという願いを込めたかったからです。
ご感想の中で「希望の一筋になるのだと感じました」と仰って頂けたことで、七転八倒の執筆活動の日々すべてが報われたような気持ちになりました。お伝え頂き本当にありがとうございました。
———-
『〈叱る依存〉がとまらない』、買って読みました。
自分がDV加害更生プログラムで学んでいる内容ととても似ていて、驚きました。
正直、心身に重たいものを感じながら読みました。
それは、自分自身がかつて「叱られてきた」という歴史や、自分が《妻さん》や《娘さん》を「叱ってきた」という歴史を背負って読んだからだと思います。
圧倒的な当事者として読ませてもらいました!
特に、最後の「〈叱る依存〉におちいらないために」という部分が、
すぐに日常生活に取り入れられる学びが多くて、ためになりました。
DV加害更生プログラムのファシリテーターにも、グループの課題図書することを提案しました(笑)。
本書を読んで改めてDV加害者であることを自覚したときのことを思い出しました。
当時自分が一番困ったのは、「どうやら自分は加害者らしい。で、どうしたらいいの?」というところでした。
結局、自分が加害者である(or〈叱る依存〉に陥っている)と自覚しても、
「で、どうしたらいいの?」という答えが見えないと、その人には、絶望的な未来しか見えません。
「どうやって、加害者(or〈叱る依存〉に陥っている)であることを引き受けて、そうでない自分に変わっていけるか」
という部分が、当事者自身に見えることで、初めて意味があるのだと思います。
(結局、加害者だと認識した後、どうやって「加害者であることを引き受けて、学び続けるか」という道筋が見えないと、変わろうと思えないのです(又は加害者であることを認めないという選択を続けます))
そうした意味で、本書の最後は、私を含む多くの人にとって希望の一筋になるのだと感じました。
———-